いわて短角牛

いわて短角牛銘柄

いわて短角牛主要4産地

岩手県は日本短角種の生産が日本一。しかし、その頭数は希少で、国内で流通する牛肉の1%以下の流通量しかありません。

いわてくじ山形村短角牛 いわいずみ短角牛 いわてくじ山形村短角牛 いわいずみ短角牛 もりおか短角牛 もりおか短角牛

 
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岩手県観光協会 いわての旅   

いわいずみ短角牛
岩泉町釜津田の牧野
岩泉町釜津田の牧野

 日本三大鍾乳洞の一つである「龍泉洞」を擁する岩泉町は、良質な水の産地としても知られています。
 藩政時代から「南部牛」の名牛の産地として知られていた岩泉町(旧釜津田村)は、他地域に先立ち、明治4年にアメリカ産ショートホーンが貸付けられ、南部牛と海外種の交配が始まったことから、「短角牛発祥の地」と言われています。
 肥育生産の特徴は、粗飼料多給であることです。放牧されていた短角牛が牛舎に入る「山下げ」の後、翌年の6月頃までは粗飼料で育て、その後徐々に配合飼料に切り替えます。急峻な山々に囲まれ、広大な耕地が確保しにくいため、より栄養価の高い作物として、飼料用トウモロコシの作付けが広まりました。
 成長期に粗飼料を十分に摂取することによって、丈夫で健康的な胃をつくります。さらに、良質な粗飼料と水が、「草の爽やかな香りがする」と評価される牛肉を作り出しています。

生産者に聞く ~佐藤志寿さん~
岩泉町の肥育農家、佐藤志寿さん
岩泉町の肥育農家、佐藤志寿さん

 生まれた頃から牛が傍にいる環境で育った佐藤さんですが、家業を継ごうとは考えていませんでした。岩泉を離れて就職し、再び戻ってきたのは26歳の時でした。

 「岩泉地域は兼業農家が多く、祖父も別の仕事をしながら牛を飼っていました。本格的に畜産を始めたのは、父の代からです。私も小さい頃から牛の世話を手伝っていましたので、身近な存在ではありました。とはいっても畜産をしたいという考えはなく、飲食店をはじめ農業とは縁のない仕事をしてきました。ですが、26歳の時に家庭の事情や色々なタイミングが重なり、家業を手伝うことを決めました」

 短角牛の肥育に携わって10年以上になります。最初は父と共に作業して仕事を覚え、現在は佐藤さんが中心となり、奥さんと母のサポートを得ながら、日々牛と向き合っています。

 「今はまだ、仕事の面白さよりも難しさを感じることのほうが多いです。短角牛は子牛の時期に放牧し、自然の中で育っているので丈夫ではありますが、それでも下痢や風邪、尿石などにも注意しなければなりません。でも、生き物と付き合っていくということは、それが常ですので、毎日よく観察することを心掛けています」

 今後について、佐藤さんは自身の牛舎だけではなく、地域の未来について目を向けています。

 「私の牛舎では今、約60頭育てていますが、最低でも現状維持を続けていけたらと思っています。また、岩泉に限ったことではありませんが、農家の減少や高齢化が目立つようになりました。私自身、就農後に同じ地区の先輩の方々に何度も相談して助けていただきました。繁殖でも肥育でも、地域で連携することが大切だと感じています。このつながりが途絶えないように、若手の育成にも取り組んでいかなければと思っています」

いわてくじ山形村短角牛
久慈市山形村の牧野
久慈市山形町の牧野

 東北唯一の闘牛大会『平庭闘牛大会』が行われる地、久慈市山形町(旧山形村)。久慈市の内陸部に位置するこの地で生産されるのが、「山形村短角牛」です。
 近年は新たに、市内の稲作農家が生産する「籾米SGS(ソフトグレインサイレージ)」による肥育体系に取り組んでいます。「籾米SGS」とは、籾米に加水・発酵させたサイレージ飼料です。
 久慈市では稲作農家が新たな農産物の栽培に転換することなく、かつ、肥育飼料の地域内生産・安定供給を図るため、平成28年頃より耕畜連携による取組みが始まっています。
 「籾米SGS」をはじめ、国産飼料にこだわった肥育生産が産地の特徴です。自場産のトウモロコシサイレージのほか、国産大豆を使用した混合飼料を使用する等、「国産飼料」へのこだわりが産地を支えています。

生産者に聞く ~落安兼雄さん~
久慈市山形村の肥育農家、落安兼雄さん
久慈市山形町の肥育農家、落安兼雄さん

 落安さんが短角牛の肥育を始めたのは、30歳頃のことでした。短角牛の肥育は、地元・山形村では馴染みのある光景であり、それ程抵抗もなく新規参入できたといいます。
 「家業ではありませんでしたので、場所作りからのスタートでした。牛舎の建設予定地の前には川があり、橋を架けるところから始めなければなりませんでした。牛舎を建てる時には、一人で作業できる規模として50頭を想定しました。最初に飼ったのは30頭です。独学でしたので、試行錯誤しながら続けてきました」

 一日のスケジュールは、朝5時から7時頃まで給餌。朝食後は、除糞作業や牛の見回りなど、その都度状況に合わせて行います。夕方には再び約2時間をかけて給餌。このサイクルが365日続きます。
 短角牛を肥育する上で、落安さんはストレスを与えないことが大事だと言います。

 「エサの内容や、牛舎の環境をきれいに保つことももちろん大切ですが、一番はストレスを与えないことだと思います。牛の背中をやさしくこすってあげたり、『大きく育ってくれよ』と思いながら接していると、こっちの気持ちが伝わるし、人に慣れてきます。だから、うちの牛は知らない人が来ても鳴いたり騒いだりしないんです」

 今日もまた、落安さんは牛舎に向かい、牛たちへ我が子のように愛情を注ぎます。

二戸短角牛
二戸市稲庭岳の牧野
二戸市稲庭岳の牧野

 浄法寺漆で知られる浄法寺地区を有する二戸市。地域内一貫生産で肥育される二戸市の短角牛もまた、郷土の恵みで育まれています。
 最も特徴的なのが、郷土菓子「南部せんべい」の端材を飼料として給与していることです。地元業者から製造時に発生する端材を仕入れて、無駄なく利用するエコフィード生産に、40年以上前から取り組んでいます。南部せんべいの主原料は小麦粉。おいしい煎餅は食いつきもよく、良質なエネルギー源となっています。
 また粗飼料として、飼料用米の籾殻を使用。稲わらと同様の繊維質が摂取できる上に、コストの削減にもつながっています。
 販売面においては、食品卸売り業者の有限会社山長ミートが農家から一手に買い受ける、連携力が強みです。生産と流通事業者の強固なつながりによって産地づくりがなされています。

生産者に聞く ~漆原憲夫さん~
二戸市の肥育農家、漆原憲夫さん
二戸市の肥育農家、漆原憲夫さん

 漆原さんは二戸地域の最大の肥育農家であり、地域内の出荷頭数の8割強を占めます。もともとは養豚業を営み、昭和50年頃に牛の肥育へと変更しました。
 当初は乳雄(ホルスタイン種の雄牛)を肥育していました。短角牛を育て始めたのは、平成元年から。きっかけは、二戸市の食肉卸売り業者、有限会社山長ミートからの依頼でした。

 「山長ミートが短角牛の販売を始め、規模拡大のために『育てた短角牛は適正価格で購入するから』と誘ってくれたので、やりましょうと。それまで一人で作業していたのですが、サラリーマンだった息子を誘いました。二人体制になり、息子が乳雄を担当して、私が短角牛を育てるようになりました」と振り返ります。
 短角牛の肥育において、漆原さんが特に力を入れているのがエサです。牛の健康、さらにはコスト面も考慮しながら工夫を凝らしています。

 「二戸地域の郷土菓子『南部せんべい』を製造する株式会社小松製菓の現会長、小松實さんとは青年会の頃からの友人だったこともあり、南部せんべいの端材をエサとして仕入れるようになりました。養豚業の時から続いているので、40年以上になります。今でこそエコフィードの重要性が叫ばれていますが、そのはるか昔から取り組んでいたというわけです」

 漆原さんの斬新な発想が、短角牛の未来を切り開いていきます。

もりおか短角牛
盛岡市姫神山の牧野
盛岡市姫神山の牧野

 盛岡市と旧玉山村はかつて、日本短角種の子牛生産(繁殖)が盛んな地域でした。しかし、市内で生産された子牛は、他産地で肥育されていました。そこで、平成20年の盛岡市と玉山村の合併を契機に、「盛岡生まれ・盛岡育ち」の肥育牛を生産しようと事業がスタート。8項目の「もりおか短角牛ブランド基準」を設けて、ブランド確立及び肉質向上等に取り組んでいます。

「もりおか短角牛ブランド基準」

  1. 盛岡市内で生まれていること。
  2. 原則として自然交配により生まれていること。
  3. 盛岡市内(区界牧野を含む)の牧草地で4か月以上育てられていること。
  4. 盛岡市内の牛舎で育てられていること。
  5. ホルモン剤などを含まない配合飼料で育てられていること。
  6. 給与された飼料が明らかであること。
  7. 使用した動物性医薬品が明らかであること。
  8. 出生から出荷まで、誰がどこで育てたのかが明らかであること。

 ブランド確立に向けて消費拡大にも積極的に取り組み、盛岡市内の飲食店が連携して短角牛のメニューを提供する「もりおか短角牛フェア」を定期的に開催しています。

盛岡市内の飲食店がもりおか短角牛を使用し、ハッシュドビーフやハンバーグなど、様々なメニューを提供

盛岡市内の飲食店がもりおか短角牛を使用し、ハッシュドビーフやハンバーグなど、様々なメニューを提供

生産者に聞く ~長澤廣美さん~
盛岡市の肥育農家、長澤廣美さん
盛岡市の肥育農家、長澤廣美さん

 長澤さんは代々畜産業を営む家に育ち、自身もまた半世紀以上にわたり畜産業に携わってきました。平成10年に会社のかじ取りを息子さんに譲りましたが、牛舎での作業は続けています。主に黒毛和牛の肥育を手掛けていましたが、盛岡市が「盛岡生まれ・盛岡育ち」の短角牛のブランド化を始めたことをきっかけに、令和元年から短角牛の肥育に取り組んでいます。長澤さんは、黒毛和牛の肥育が長かったからこそわかる、短角牛の難しさがあるといいます。

 「短角牛は丈夫ですし、育てやすいと思います。難しいのは肥育月齢の長さです。黒毛和牛は人工授精ですので、生まれる子牛の数を調整できるのですが、短角牛は放牧時に自然交配することから、出産が3月4月に集中します。しかし、生後約30カ月の肥育適齢期を迎えたからといって、全頭を一気に出荷するわけにはいきません。肥育期間が延びると、その分病気にかかったり、事故が起きる可能性が高まりますし、エサ代のコストもかさんでしまいます」

 その一方で、短角牛には手間暇をかけただけの魅力があるといいます。それは、「健康的でヘルシーな肉質であること」です。

 「エサとして配合飼料の他に、牧草や稲わらなどの粗飼料を与えるのですが、地元のものを使用しています。また、もりおか短角牛にはブランド基準が設けられており、ホルモン剤などを含まない配合飼料で育てることが規定されています。安心安全ですし、赤身肉が主体の非常にヘルシーな肉質ですので、これからさらに需要が高まると期待しています」

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